これは、あの子だ。あの男の子の重さだ。
買い物は歩いていく。二十分の距離にスーパーマーケットがある。今日の夕飯の米がない。ギリギリまでほっておく私のいつもの悪い癖で、今晩炊く米がない。仕方がないのでリュックを背負って出かけた。
五キロの米を買い背負って歩いた。二、三分歩いて・・・この背の重さに記憶がある。いつかこんなふうにして背負ったことがある。
これは、あの子の重さだ。
五十年前になろうか、二日ほど生後三ヶ月の男の子を預かったことがある。友人である母親が病気治療のため入院したのだ。お手伝いの人が来るまで、預かることにした。生後三ヶ月でも、四㌔で生まれたその子は、もう五㌔以上もあった。母親を慕ってよく泣いた。困ってひたすら背に負った。ねんねこばんてんを着て背負って歩いた。預かった頃は春で桜が咲いていた。その下を歩いた。
米を背負ったら、あの背の重さが思い出された。クックック、と笑いがこみ上げてきた。その男の子は、一メートル八十センチに成長し、柔道の選手として活躍した。今は双子の中学生の父親だ。
あの子を背負ったのだ。クックックと笑いが止まらない。五月の風は甘く優しい。あの子の重さを背負って、少し前かがみで歩く。