六十数年馴染んできた自転車に乗らなくなって(一度転倒したので)バスをよく利用するようになった。住宅街を走る市内循環バスや幹線道路を通るバスをうまく組み合わせると、かなり便利に移動できる。しかし、細かな路地にある店等に行くには不便だ。自転車には適わない。仕方がない。生活様式を変えていかなくてはならない。これからも身体の都合で、手放さなければならない事は増えてくる。別の方法を考えて日々を過ごさねばならない。歯は義歯に、耳は補聴器に、足は杖や手押し車に助けられる。まだまだ予想もつかないことが起こるだろう。その度に生活の形は変化する。
ある日、Sバス停から早朝六時のバスに乗った。高齢の女性が七人座っていた。七十四歳の私より十歳は年上に見える。座席に埋もれるように、白髪と灰色の髪でマスクをして、働き者の手を祈る形に膝に揃えて俯いている。小さな女性達。バスの中には山の湧き水のような霊気が漂っている。右横の彼女の身体は、内から仄かに輝いてぽっと明るい。きっと身体の中に美しいものを抱えているのだ。山の肉厚の椎茸、元気に伸びる畑の芋の蔓、畦のタンポポ、田起こしのすんだ黒々とした土、そのような宝を胸に抱えているのだ。彼女達のように老いたい。
バスは走り続ける。