写真は、山口市秋穂半島の南端にある筈倉山の北西斜面に立地していた筈倉古墳から出土したもので、左2点は耳環(耳飾り)、右は足鍋です。古墳は昭和37(1962)年に農業構造改革事業によるミカン園の開墾作業中に発見され、山口大学助教授小野忠熈氏(当時)らによって緊急発掘調査が行われました。調査時にすでに大破して、墳形は不詳ですが、横穴式石室から出土した先述の耳環や鉄製品などから7世紀代のものと考えられ、古墳も同年代に作られたと想定されます。
一方、一緒に出土した足鍋は煮炊き用に使用された中世の土器で、特徴から16世紀代に使用されたと考えられ、古墳が室町時代末期に二次使用されたことを物語っています。
これら3点は、当館で開催中の「宝山の一角」で展示中。会期は6月20日まで。
山口県立山口博物館 学芸員 荒巻 直大