マスクをはずして、ふっと鏡を見ると、唇が油断していた。唇は、呆けたように開き、前歯を見せてくつろいでいた。急に鏡に映され、私の咎める目に気づき、慌ててキッと口角を上げた。
私は、唇をつぼめたり、打ち合わせて小さな音を出したり、大きく口を開けたり綴じたりを繰り返した。身体の全部が弛緩し始めているこの頃だから、唇にはしっかりしてもらわねば。
中学生時の運動会を思い出す。私は戦後すぐの第一次ベビーブーム世代。中学校は一クラス五十数名の生徒で、それが十クラスあった。運動会は盛大で、紅白対抗という生易しいものではなく、赤・白・黄・紫・緑、と分かれて競った。それぞれの色が三つずつの隊列に分かれて行進する見せ場がある。並列し、離れ、交差する。一糸乱れぬ行進をするのだ。校庭には地響きがする。大柄だった私は、その一つの列の先頭になった。太い足を露出するブルマーが恥ずかしかった。羞恥心を隠すために、唇を緩めて笑っていたのだろう。先生の叱責がマイクから飛んだ。「そこ、ニタニタするな。先頭がしっかりしないと列が曲がるぞ。笑うな」。私は残されて夕暮れまで練習させられた。唇をきつく結んで。
マスクの下だとて唇よ、油断するな。お前が緩むと私の全身が曲がる。