山口の名物と言えば外郎、そしてその元祖が「福田屋」だった。蕨粉を用いて醸し出される独特の風味と食感が特徴。江戸期には歴代の藩主からも愛され、参勤交代の際にはここで休息を取るのが常だった。事実福田家には藩主用の上段の間が設けられていた。また往時、屋根の上には金箔塗りの大看板があり、そこに書かれた「白外郎」の文字は高名な儒学者広瀬淡窓によるものだった。イラストに見える一枚板の外縁は、上部の棟木とともに松の一木という豪華なものである。
下関の豪商で奇兵隊士でもあった白石正一郎は、文久三年(1863)十月二十七日、敬親公に福田屋に呼びだされて初めてお目通りが叶ったと自身の日記に書き残している。
文・イラスト=古谷眞之助