マルティンルターの肖像、ヤーコブ・ムッフェルの肖像、男の肖像(カリアーニー作)、黄金の兜の男(レンブラント作)などの絵葉書を数十枚持っている。顔が好きで、美術館に行ったら顔の絵葉書を買い求めた。彼等の顔をじっと見つめていたら、静かな寂寥に包まれる。喜びや苦悩、貫く意志、そんなメッセージも私に届く。しばし彼等と会話を楽しむ。教えを請う。
「画家たちの自画像・藤田嗣治から草間弥生まで」が北九州市立美術館分館で開かれることを知った。顔のパレードだ! 出かけられないので美術館に電話をして図録を送ってもらった。
一一二人の顔、顔・顔。女性は二人(会場に展示されている女性画家はもっと多いかもしれない。何故か草間弥生氏の自画像は図録にはなかった)。こんなに多くの顔を一度に見たことはない。脈が乱れる。
自分所有にして毎日愛を捧げられる人を探す。その視点で見る。
“自画像は、画家が自分とは何かという問題と対峙してこそ生み出されたもの”。長い思索と苦悩の末の自画を傲慢にも私が選ぶ。その自画像は私を表す。だからどの作家の自画像を選んだかは言えない。知られると私の貧しい裸体を見られたようで赤面する。絵と私だけの蜜月。
自画像とは、なんという迫力を持つものか。長くは見ていられない。