こんな絵はあまり見たことがない。もちろん、犬が描かれた絵は、明治時代にも江戸時代にもたくさんあって、可愛らしいものばかり。私たちは昔から、犬と一緒に暮らし、癒やされてきたようなのである。ところが、コイツときたら、画面いっぱいまるまる使って猛烈に怒っている。歯をむき出すは、前脚も後脚もすべて突っ張らかして威嚇するは、今にも跳びかからんばかり。怒りのあまり、眼からは炎が燃えあがっているかのようである。
なのに、ちっとも怖くない。画家は、この犬が可愛いというより、怒っているその一途さが愛しくてこの絵を描いたといえそうだ。
当然、愛しいからといって猫かわいがりしたりはしない。うかつにも、そんなことをしようものなら齧(かぶ)りつかれるだけである。その正体は野生の血を色濃く残した四国犬。俊敏な動きで獲物を追い込み、一撃で仕留める重みをもあわせ持つ中型日本犬なのである。
名前は「ハチ」。どうやら松田正平の「八番目」の愛犬らしい。
山口県立美術館副館長 河野 通孝