友人が空を指差し「あれ見て、大きな鳥が飛んでる」と言った。見上げたが、もう鳥は、船のような形の雲の中に飛び込んだらしく見えなかった。「鷹かしら。大きかった」ともう一度彼女は空を指したが先には何もなかった。「大きな鳥はみな鷹で、中くらいの鳥はみな鳩で、小さな鳥はみな雀」と笑った。私達は鳥に詳しくない。けれど、テレビや写真で知っている雄々しい鷹を見た気になって嬉しかった。
中学の同級生に、山本鷹蔵(たかぞう)君がいた。毎朝の点呼で、山本鷹蔵と聞くと私は強い侍を思い浮かべた。男子同級生の名は、もっと軽い音の名が多かった。放課後の教室で彼がこう言った。「親がこんな名をつけてから。もっとハイカラなのにしてくれたらよかったのに。鷹蔵なんて」。
身中に老いさらばえへし鷹を飼ふ
渡邉隆
今、山本鷹蔵氏は、鷹蔵という立派な名前をつけてくれた親に感謝し、勇猛な鷹を自己のものとして、飼いならしたに違いない。
列車の発車する折に、鉄道員の指呼を見る。ホームに立ち進行方向を指差し、よし。後方を指差し、よし。白い手袋の指が鋭く指さす。その先には何もない。何もないのが出発の条件。目的地は見えないけれど私達は乗り込む。指呼の先にはなにもないのに。