秋晴れの日、バスに乗った。午後三時の乗客は、高齢の女性二人に、赤ちゃんを抱いた若いお母さんと私。窓からの風が気持ちいい。突然、赤ちゃんが泣きだした。目をこすっているから眠いんだ。赤ちゃんはお母さんの手で背中を撫でてもらいながら、ひと泣きしなければ眠れない。私達は赤ちゃんに微笑む。幸せな午後の車中。
第二次世界大戦終末の沖縄。ガマ(洞窟)に島民は身を潜め隠れた。その時。赤子が泣くと敵兵に見つかるので赤子の口を塞いだという。
今、眠りについた赤ちゃん。薔薇色の頬。お母さんもうつらうつら。
一九五〇年沖縄糸満生まれの私の友人幸子さんは、こう書いた。
“私たちが戦後生まれだということを私は知らなかった。大人たちは戦争の話をしないし、学校でも先生は、戦争があったことを教えてくれなかった。(略)ずいぶん後になって、この地で戦争があったのだと知った。大人たちがようやく口を開くようになり、学校で先生方が教えてくれるようになった。それまで私はなんにも知らずにいた”詩集『Aサイバー』より。Aサイバーは、米兵相手のバー。
ヤッタァガ クトゥドゥ 頑張ラリンドー (お前たちがいるから頑張れるよ)。幸子さんのお母さんの口癖だ。バスはゆっくりと走る。