御舟倉跡は村上水軍の流れをくむ藩の水軍の本拠地があった所で、藩主用の御座船や軍船が常置されていた。当初、参勤交代では瀬戸内海を利用していたが、1725年の海難事件発生以降は陸路・山陽道に代わり、水軍は次第に衰退していった。しかし、幕末に海軍局が設けられると再び脚光を浴び、海軍学校が設立されて長州海軍の要員教育が行われた。第二次長州征討時、ここから丙寅丸を駆って大島で戦った高杉晋作の活躍はつとに有名である。しかし、今は埋め立てによってわずかに水路の一部を残すに過ぎない。
3年にわたって連載した「イラストでたどる萩往還」は今回が最終回となった。ご愛読に対し深甚の感謝を申し上げる次第である。
文・イラスト=古谷眞之助