1863(文久3)年4月16日、攘夷実行期限を目前に控えていた長州藩は、萩から山口に藩庁を移転。同月23日には、小郡口・鯖山口・宮野口・一ノ坂口・鎧峠口・陶峠口・千切(ちきり)峠口・吉敷大峠口の8カ所に番所建築を命じ、他国人が山口に入ることを禁止した。
そのため、西のお伊勢様として、近隣諸国から多くの参拝者でにぎわっていた山口大神宮も影響を受けることとなった。そこで、関門外に遥拝所を設けることが許可され、内宮が台道(防府市)に、外宮が小郡に建立されることになった。こうして、2代古林新右衛門(こばやししんえもん)が社地を寄贈。1864(元治元)年4月12日、現在の地に社殿が完成した。
防長史談会山口市部長 松前 了嗣