朝、六時、ゴミを出そうと外に出ると、どこからか良い匂いがしてくる。うん? 鼻を右に左と向けて匂いの源を探した。お隣さんのキッチンから流れて来る卵焼きの匂いとは違う。もっと甘やかで力強いもの。あっ、そうだ。知っているこのキリリとした香り。
咲いたのか! 裏庭の隅に走った。小ぶりな木に五分ほども花が開いている。薄紅色の小花が重なり合った花の塊。沈丁花。ろくに手入れもしないのに季節がくれば咲き、高く香りを放つ。この素晴らしき生命力。横を見れば、紫陽花の枯れたような茶色の茎から黄緑色の小さな葉が芽を出している。椿もつい昨日まで硬かった蕾を開いている。良く咲いてくれたと頬ずりする。目を上げれば、二軒先の久保さんの庭の白梅が満開だ。冬の間静かだったご近所が命に華やぐ。私の身体も目覚める。
沈丁花の香りを胸いっぱい吸い込み、机の上の走り書きを破り捨てる。
『一日の最後の光が廊下に甘く広がっている。ベタベタ踏みながらトイレに行く。ふっと思う。何故、私はここにいるのだろう。生まれて死んでいくのに。全てなくなるのに。生きるって無駄ではないか。排尿は温かい。白い湯気が立つ。何故って、今一度思う。陽はもう陰り、冷たい廊下を走る』。