これは、防府天満宮の上にある天神山公園「流れ」遺構です。
明治35(1902)年に執り行われた千年祭に伴う「天神山公園造営」事業で整備された全長81メートルにおよぶ流れと三段滝、瀬落ちなどが残されています。
昨年4月長年不明だった植治の痕跡が、防府市の庭園修復家(藤田氏)によって発見されました。
その後、生い茂っていた樹木などを公園課の了解のもと整理し、溜まった土砂などを取り除き簡易調査が行われました。
残念ながら流れの前後は後世の整備工事によって土木的に改良されましたが、高低差を巧みに利用し組まれた三段の滝と左右に振り分けられた流れ、くずれ石組みなど明治期に造りあげられた雅な空間を見ることができます。
この造形を完成させたのは、京都の七代目小川治兵衛(植治)です。京都の無鄰菴や平安神宮(西神苑、中神苑)造営工事の後に手掛けたとみられるそうです。当時植治は集団で仕事をこなしており、実際七代目がどこまで関わっていたかは判明していないそうで、大正4年建立の「造園記念碑」には、「工事担当者 京都 小川治兵衛」とあることから植治の請け負った仕事はすべて七代目小川治兵衛の仕事となるそうです。現在この場所は「もみじ谷庭園」と名付けられ、天満宮景勝地の一つとして親しまれています。
投稿者:山口市の伊藤さん