鳥居を抜け参道を進むと、鎮守の森の苔むした地面に光が差し込む。まるで異世界に迷い込んでしまったかのような、そんな錯覚を覚える。
1864(元治元)年8月10日、京都の公家・沢宣嘉(さわのぶよし)は、生雲八幡宮(いくもはちまんぐう)に参籠(さんろう)し長州藩の難局打開を祈り願文(がんもん)を納めた。前年、御所で起きた政変で失脚し、三条実美(さんじょうさねとみ)らと三田尻へ来住した彼は、程なくして奇兵隊士や福岡藩士らとともに脱走。生野(いくの)(兵庫県)で挙兵するが、形勢の不利を覚ると四国へ逃れ、後に再び長州藩領に戻った。その後は脱走後行方不明という形で藩内を転々、悶々(もんもん)と日々を過ごした。恩義ある長州藩のためにできること、それはただひたすら祈ることであった。
防長史談会山口支部長 松前了嗣