島地黙雷(しまじもくらい)、1838(天保9)年、佐波郡垰村(現・周南市垰)、専照寺の四男として生まれた。
1867(慶応2)年、徳地島地の妙誓寺住職になると、島地姓を名乗り、やがて広い世界へとはばたいていった。今日の新聞の先駆けとなった新聞雑誌の刊行、教状視察団の一員として欧州諸国やインドを訪問、女子文芸学舎(現・武蔵野大学附属千代田高等学院)を設立するなど、その活動は多岐にわたった。
そんな彼の憩いの場が「雨田草堂(うでんそうどう)」である。これは、還暦を迎えた黙雷のために地元の有志が建てたものである。
彼は全国各地を布教する途次、愛するこの地を訪れ、村民たちと交誼を重ねたという。
防長史談会山口支部長 松前 了嗣