「明治維新は大田絵堂の戦勝にあり、その戦勝は小郡宰判の協力にあり、その協力は即ち林勇蔵翁にあり」と称えられた大庄屋の林勇蔵の座像は仁保津下の上郷公民館に隣接して建っている。彼は宰判内をよく取りまとめ、元治元年(1864)内訌戦が始まるや、諸隊に対して軍夫派遣や資金・物資の積極的支援を行った勤王農民の筆頭だった。
また「椎の木峠トンネル」を掘削して丘陵地帯を水田に変え、椹野川、吉敷川の河川改修を断行するなど農政面でも大いに実績を上げた。山縣有朋とは小郡勘場時代から面識があり、林から農政を学んだ彼が維新後林家を訪問した際には、弟子の礼を取って室内には上がらず、縁側に座って歓談したと伝わる。
文・イラスト=古谷眞之助