緑に包まれた洞春寺墓地。空は雲に覆われ、風は無い。石段を上がると、そこには石部誠中(いしべせいちゅう)の墓がある。
1865(慶応元)年、誠中は藩政府の要職である政務座に就くと、翌年、右筆となり、やがて木戸孝允らとともに蔵元役となった。また、船木・徳地宰判(さいばん)の代官も務めた。
1868(明治元)年、鳥羽・伏見の戦いに隊長として赴くが、その時、旧幕府軍傘下である大垣藩の菱田重禧(ひしだしげよし)という人物の命を救った。
当時、長州兵に捕らえられ、死を覚悟していた重禧は、辞世の詩を詠んだ。その内容に感動した誠中は、彼を釈放したのである。
その後、誠中は岡山県参事・権令へ。晩年は私塾を開き、子弟を教授した。
防長史談会山口支部長 松前 了嗣