画学生だった19歳の時、戦地に駆り出された。シベリアで抑留された後、ようやく27歳で帰国。45歳にして具象絵画の芥川賞ともいうべき安井賞を受賞し、51歳の時に渡仏。2年ほどパリに滞在し帰国した後は、そこに何が描かれているのか明確にはわからない絵を描くようになり、途中省略するが、58歳の時にステンドグラスによる《秋吉台の四季》を制作(新山口駅にあるので是非見て欲しい)。そして、ご存じない方のために記しておくと、76歳の時に芸術選奨文部大臣賞を受賞した。
この遅咲きの画家、宮崎進(1922~2018)の絵描き人生は、実は、旅芸人一座の書割を描くことから始まったらしい。13歳の頃のこと。初めてついた師匠に連れられ旅回りをしながら、白粉を塗った女芸人が《ろくろ首》や《蛇女》に変身していく舞台の背景を描いていたというのである。
それから30年。戦争、捕虜という体験を経て、この女芸人が出来上がった。
※「宮崎進展」(10月25日から)展示作品より
山口県立美術館副館長 河野 通孝