周布政之助という人物が良く分からない。もちろん、幕末長州藩政の重要人物であったことは間違いないが、筆者の勉強不足のせいで、どうも些末な周辺情報ばかりが目についてしまう。曰く、酒に酔って土佐の山内容堂公に暴言を吐いた。曰く、酔っぱらって野山獄に馬で押しかけ、晋作を激励した云々。
ただ、山口市に自分の名を地名に残したのは彼くらいだろう。「周布町」がそれで、同町内の周布公園にイラストに示した立派な碑が立っている。政権の中枢にいながら禁門の変、第一次長州征討といった国難にうまく対処できなかったことに責任を感じた彼は、元治元年(1864)9月26日早朝、前回登場した吉富簡一宅で自害した。享年四十二。
文・イラスト=古谷眞之助