「陛下どうぞ」と案内した鉄道頭(てつどうのかみ)井上勝(まさる)の「汽笛一声新橋を!」の投稿(10月8日付掲載)に続きますが、おつきあいください。
井上勝没後100年のプレ顕彰イベントを兼ねて、ひ孫である「勝重(かつしげ)」さんを東京からお迎えして、2007(平成18)年10月14日、「鉄道の日」に新山口駅でSL山口号の出発式テープカットを挙行。
ひ孫さんは、初めての山口訪問に際し、小鯖芦谷(あしだに)の「井上屋敷跡」を探索。
井上家から土地などを託された原田家の原田節子さん、小鯖豊寿会(ほうじゅかい)徳本巌会長さんにご案内いただきました。
勝重さんは、鎌を片手に草むらをかき分けながら跡地に着くと、「勝」と勝の父「勝行(かつゆき)」のご先祖に手をあわされていたのが印象的でした。幕末・明治初頭にかけて住まわれたのはわずかの期間でしたが…。
ご協力をいただいた原田さん、徳本さんそして一連の「鉄道の日」行事を企画してくれたノムラン会の神杉さとみ編集長に深く感謝します。
思えば「SL山口号」が運転されたのは、1979(昭和54)年。蒸気機関車が国鉄(JR)路線で復活したのは、なんと全国で山口が最初でした。
時空を超えて、小鯖の地が「鉄道」と縁があるのはなんでだろう! これも井上勝の郷土への深い思いが叶えてくれたのでは…。
新橋開業から40年、1913(大正3)年、山口線の小郡山口間が開業し、来年110年を迎えます。
私どもの交通手段は、鉄道、バスそして一家に数台ある自家用車へと目まぐるしく変化してきましたが、通学、生活、観光運輸に無くてはならないのが鉄道です。
かつて、ひとは、道を徒歩で往き、山を駕籠で越え、川を連台で渉っていました。わずか150年前までは…。
山口小鯖の地から東京に発ち、鉄道敷設に情熱を注いだ、長州ファイブ最年少の井上勝(渡航時20歳)のフロンティアスピリットに思いをはせる「鉄道開業150年」でした。
投稿者:ノムラン会会長 樫部裕人さん