バスの中で千絵さんが「あなた遺影撮ってる?」と突然言った。「撮ってない」と私。「もう後期高齢者だから撮っててもいいわよ。百歳で死のうと今のでいいのよ」と言った。母は遺影を生前に決めていたが、それは死亡時より二十年も前のものだった、が、誰も気付きもしなかった。遺影があって葬儀時に手間が省けて助かった。
遺影を撮ろう。電話ボックスのような箱に入り自動写真機で撮った。「ナチュナル」「色白美肌」とある中から選ぶのだ。迷ったが「ナチュラル」のボタンを押した。三通りの表情ができる。笑って一枚。すまして、横顔をそれぞれ一枚ずつ撮影した。独りだから恥ずかしくない。すぐに出来上がり出てきた。これ私? 顔は額が後退していて異常に長い。口角が曲がっている。人格も曲がっているような。写真は真実を映すというから、これが皆に見えてる私なんだろう。
千絵さんに、遺影を自動で撮った、と電話した。「自動じゃダメよ。写真館に行って撮らなきゃ。ライトの当て方一つで美人にもそれなりにもなるのよ。自動ボックスの写真では、もう私達の年になると見るに堪えられない。写真館に行きなさい。修正もしてもらいなさい」。
あれから数か月、顔をマッサージし、パックしている。効果はない。だから、まだ遺影はない。