長らく宮野地域の氏神様として崇められてきた仁壁神社の創建は大和政権時代にまで遡ると伝えられるが、文書記録の初出は天安二年(858)と言われている。その後、仁壁神社は周防三ノ宮として位置づけられて人々に深く崇敬されてきた。大内氏第30代・義興は九州での戦勝を報告するため周防五社を巡った際、三番目にここに参拝している。
また長州藩第4代・毛利吉廣は何度もここに参拝して、鳥居近くの庭に「市原虎の尾」の桜を自ら植えたと言われており、それは約三百年後の今も美しく咲き誇る。そして塩漬けにされたその桜花は、桜茶として歴代藩主の参勤交代の際に、萩往還の釖切御駕籠建場で振る舞われたと記録に残っている。
文・イラスト=古谷眞之助