友達が次々に病気になっていく。彼女達が入院してもコロナ禍で会いにも行けない。泣きたい気持ちだけれど、泣けない。大人だから?
『泣ける話』と銘打った名作短編集を読んだ。涙が喉元まで溢れてくるが、涙が流れて慟哭することはない。大人の人情話だからだろうか。登場人物が成人なら、そこにはなにがしかの理屈がある。原因があって結果がある。それら全てが理不尽であれば、涙より怒りの気持ちが湧いてくる。必殺仕事人を連れて来て越後屋と悪い御役人を退治したくなる。
絵本はどうか?
泣けない。絵が芸術的で話も詩的で技巧的で、読み終えると空を見て薄く溜息をつく。涙は胸の中で小さな静かな空色の湖になっている。
昔話はどうか?
むかし、昔。昔ある所に。これも昔々。とんと昔のことぞ。これも昔話であります。昔奥州の方に。
昔話はこういうリズムで始まる。「皆さん、これは昔、昔の御伽噺だから、信じないでくれ」という、暗黙の了解がある。狐や狸が人語をあやつり、貧しい善人には宝物が降ってくる。私は善人ではないので、天罰が当たるのが怖くて涙は引っ込む。
夜になるとポロリと涙が落ちることがある。理由はない。