午後十時ともなれば星のない夜は真っ暗。道路の信号だけが明るく光っている。
私の目には、青信号になれば、青い光が放射線状に広がり観覧車のように瞬き始める。赤になれば赤の観覧車が回る。乱視のあなたにだけそう見えるのだ、と友人は言う。ああ、きれいだ。回れ、回れ、私の観覧車。
バスの行先表示の文字が何重にも見えて、どのバスに乗ってよいのかわからなくなった。とても不自由になったので眼鏡を買うことにした。
店のスクリーンにどこか一か所開いた輪が映し出される。英語のCの形。どこが開いている? Cは変化する。右だ左だ上だ下だと教えながら検眼した。喜劇俳優のような黒縁のまん丸の眼鏡を選んだ。一度こんな眼鏡をかけたかったのだ。帰宅して新しい眼鏡をかけて窓ガラスを見た。うわー、ぶつぶつといろんなものがついていて汚い。雨の跡だろうか、波紋のようなものもある。
窓ガラスには、魚や象や羽を広げた鳥や長い蛇もいた。裸眼ではそう見えたのに、眼鏡をかけると皆消えてしまった。ただの汚れになった。
乱視の二つの目は見えない物を見せてくれた。眼鏡をかけたら窓の仲間がいなくなった。憧れの喜劇俳優の眼鏡だが、かけたらきっと今夜は信号の観覧車は回らない。