山口市の文化財に指定されている錦小路頼徳の墓は、赤妻町の住宅地内にある。山口へ来て半年、攘夷の志半ばでこの世を去った。
錦小路頼徳(にしきこうじよりのり)は、「1863(文久3)年8月の政変」で長州藩に都落ちした7人の公家、いわゆる「七卿」の一人だ。
1864(元治元)年3月、下関の砲台を巡視するために三条実美らと湯田を出発。途中、厚狭郡で血を吐き、下関の豪商・白石正一郎宅で静養したが、同年4月に30歳で亡くなった。死後は藩主毛利敬親が喪主となって山口で葬儀が執り行われ、赤妻山の地に埋葬。安加津麻(赤妻)神社が創建された。
1870(明治3)年に三条実美らが墓の後方に記念碑を立て、功績をたたえた。