『火吹竹(ひふきだけ) 味噌漉し 摺(す)り粉木 摺り鉢 片口(かたくち) 漏斗(じょうご) 目笊(めざる) 蒸籠(せいろ) 散蓮華(ちりれんげ) 卸金 土瓶(とびん) 土鍋 七輪(しちりん) 桝 焙烙(ほうろく) みんな忘れられてゆくものばかりだ』
(「サングラスの蕪村」・田中冬二)
七十六歳の私は、これ等をみんな知っているし、使っていた。半分以上の物は現在も使っている。火吹竹は、数年前までは風呂炊きをするのに常用していた。七輪は練炭等を入れて重宝していたが、現在は使っていない。味噌漉しは毎日使う。卸金はあまり力がいらないように素材と形が変化している。目笊は目の粗いものから細かいものまで持っている。
この本は、一九七六年に出版されている。四十七年前になる。その頃にはもう前述の道具は忘れられつつあって、田中冬二を郷愁の心持にさせたのだ。
『女の子は年頃になると、きまって針箱があてがわれた。そういう仕来たりがあった。それが躾でもあった』男子に家庭科が必修になったのは一九九三年。男女とも躾がなされた。関係ないが、私は裁縫はできない。『老人は出るな 歩くな 家にいろ それなら家にいてどうしていればよいのだ』『信仰とは己自らが仏心になることだ』
掌大の小型の本だが、中身はずっしりと重く手放せない。