事件が起きたのは、1864(元治元)年9月25日の夜であった。中河原の山口政事堂で開かれた御前会議を終え、井上馨は湯田の寄宿先に向かい石州街道を歩いていた。袖解橋(そでときばし)の手前まで来たその時、ひとりの男が声をかけた。闇夜を裂く刺客の刀が火花を散らしたのはその直後であった。馨は重傷を負いながらも近くの里芋畑の中に身を隠した。3人の刺客は、捜し回るが見つけることができず、ついにその場から立ち去った。朦朧(もうろう)としながらも一軒の農家にたどり着いた馨は、兄の居宅に搬送された。そこで、駆け付けた医師・所郁太郎(ところいくたろう)の懸命の治療と家族や友人たちの援助により、奇跡的に一命を取り留めたのである。
防長史談会山口支部長 松前了嗣