1865(慶応元)年1月6日、現在の美祢市美東町で始まった長州藩の内乱、大田・絵堂(おおだ・えどう)の戦いは、奇兵隊をはじめとする諸隊が、幕府に恭順の姿勢を示す保守派の萩政府軍を破り勝利した。この時、命を賭して諸隊を支援したのが、小郡宰判(さいばん)の大庄屋(おおじょうや)・林勇蔵(はやしゆうぞう)を中心とする28人の地下(じげ)役人たちであった。
当時、諸隊に加担することは固く禁じられていたが、彼らは金穀を提供し、農兵2小隊と軍夫(ぐんぷ)1200人を大田に派遣。井上馨を総督とする山口の鴻城軍にも資金を援助した。
また、小郡上郷の海善寺など3カ寺を、負傷者のための病院とし、布団・屏風・土瓶・こんろ・手桶・柄杓などを多数運び込んだ。
防長史談会山口支部長 松前了嗣