1938(昭和13)年、二人は結婚した。翌年には長男、続いて長女、次女と立て続けに子宝に恵まれたが、結婚して4年目の12月30日、31歳の夫に召集令状が届いた。妻25歳。
「まともに神を信じたことはない」という香月だったが、さすがに「妻の作ったお守り袋」と「生徒たちが作ってくれた千人針」は持っていった。とはいえ、シベリア抑留を経て復員してくるまでの4年間、肌身離さず持っていたのは、「タバコケースに収めた妻と私の写真」だったらしい―それから22年。その「古びた写真」を拡大して写し取ったのがこの絵である。実寸にして12×7㎝程度。「護」と題された作品の中央あたりに全体の100分の1のサイズで初々しい〈泰男と婦美子〉が描かれている。
「妻の顔は実物よりはるかに美人に出来上がっていた」とは夫・泰男の弁。
妻・婦美子によると憎まれ口をたたくのが大好きな夫だったようである。
※コレクション展「描かれた戦争と抑留」(9月24日まで)展示作品より
山口県立美術館副館長 河野 通孝