名田島の向山三神社近くに、歴史的な風情を残す長屋門がある。「佐分利邸(さぶりてい)」と呼ばれ、元禄年間から続く旧家だ。
秋穂二島の村医だった佐分利家が現在の地に診療所兼自宅を構えたのは、1689年。代々医者の家系で、1826年に医師・華岡青洲の門人となった佐分利良哲(りょうてつ)は、萩藩主・毛利元敬の御殿医を務めた。
また、良哲の息子・顕民(けんみん)も名医として知られていた上、長州藩の攘夷戦争に際しては約250人の「佐分利隊」を結成し、佐分利邸を屯所に新開作の椹野川沿いを警備した。
993坪の敷地内には「下(さが)り松」と呼ばれた幹回り5~6メートルの巨木もあり(1970年頃枯死)、屋敷の威容さを際立たせていたという。