ぼんやり小さな庭を眺めていたら、稲のような形の草が沢山さん生えているのを見つけた。すーっと伸び、頭頂に穂があり籾のような実をつけている。実を包んでいる殻を爪で扱(しご)くと白い実が出て来た。噛むと苦かったが、生米を噛んだ時のような味がした。
稲作が弥生時代に大陸から伝えられたと習ったが、もしかしたらそのずっと前に稲らしきものは栽培されていたのではないだろうか、と思った。
狩猟や栗など木の実を採集して生活していた縄文時代、病気や年を取り狩猟はもとより採集にも出かけられない者はいたはずだ。その者達は住居の近くで自分達ができる範囲で、例えば花を作り栗の幼木を育てていたのではなかろうか。雑草が生えると取る。その中に稲に似た穂を持つものが現れ、その穂先の実は秋になったら熟す。穂から実を扱き乾燥させ掌でもむと白い実が出て来た。火炎土器で炊くと美味しかった。これはいいぞ、不猟の時でも栗の実が不出来の時にも飢えずにいられる。病気の者、年配者達が穂のついた植物の改良を重ね、大陸から伝わる前に稲らしきものを手にしていたのではなかろうか。縄文時代は一万年の長きにわたる、皆が助け合う豊かな時代だったのだ。
草に占領された庭を前に遠い夢を見る。