幕末から明治期に活躍した医師・松永周甫。薬草園開墾に際して砂防工事を行い、人も土地も“治療”にあたった。
松永周甫(1816~87年)は萩出身の医師で、本草学を修めるために全国を遊学して500種以上もの植物を採集。1852(嘉永5)年、吉敷郡鋳銭司村南原(現山口市鋳銭司)の土地を購入して薬草園を開いた。同地は当時、樹木の無い山に囲まれた砂地で、大雨の度に浸水。周甫は、私財を投じて山にアカマツを植え、地質の改良にも勤しんだ。
現在、薬草園は残っていないが同園跡と生き残った植物は、山口市の史跡および天然記念物「松永周甫薬草園跡と遺存植物」に指定。かつての砂地は緑豊かな県セミナーパークなどとして活用されている。