月に二回、A駅の待合室でバスの乗り継ぎのため朝の三十分をそこで過ごす。
今年の夏は酷暑で朝の日差しまで力強くて七列あるベンチの七列目まで差し込んでいた。そこには誰も座らなくて光は一直線に、どうだ凄いだろう、という勢いで目を射る金色のギラギラした光を伸ばしていた。
十月になると、朝の光は弱まって列の三列目までしか届かない。花嫁のベールのような透き通る繊細な光。夏は避けていたその光の中に、人々は座っている。額や頬が光に照らされて美しい。
列車から降り立つ人たちも、夏は半袖かノースリーブ。強い日差しに眉を寄せ目を細め帽子を被りなおして歩き出す。日差しは彼らを追いかけてその背まで射る。秋になると彼らは、朝の日差しにもうたじろがない。光の中に入り込み、リュックを背負いなおして大きな歩幅で歩きだす。
季節によってA駅の待合室に差し込む日差しは長かったり短かったりする。夏は七列目、秋からは三列目。冬は軒先まで。
日差しは太陽の足ではないだろうか。足を地球に伸ばしたり縮めたりして生き物を生かし、作物を実らせる。待合室にも親指の先端が入り込み伸びたり縮んだりして私達に挨拶する。太陽に見守られている。