渡川城は、宇部の霜降城、周南の若山城とともに大内氏の三大古城の一つである。築城時期は「地下上申」に「永正より天文の頃、尼子勢に対する備えとして築き置かれし由」とあり、16世紀前半と考えられている。城は石州街道の要衝であるモミノ木峠から続く標高352メートルの山頂にあり、城を取り巻くように蛇行して流れる阿武川側は断崖絶壁を為していて天然の要害となっていた。
この城をめぐっては数次にわたる激戦が繰り広げられており、陶晴賢の傀儡当主大内義長が津和野の吉見氏と戦った時にも、ここを本陣としていた。しかし、晴賢が毛利氏に敗れ、義長も長府功山寺で自害すると、城は歴史の表舞台から消えていくのである。
文・イラスト=古谷眞之助