奇兵隊小隊司令として四境戦争で戦った山田鵬輔。生年や出生地は不明だが、山口市佐山にその名を刻む墓がある。
山田鵬輔(生年不明~1866年)は、江戸時代に佐山村の一部を領有していた三丘(みつお)宍戸家の家臣だった。生前は酒に酔うと裸になったり、涙もろくなったりして周囲から慕われていたという。
奇兵隊小隊司令として四境戦争小倉口に参戦。熊本藩の砲台を落とそうとして、上半身裸で相手陣地に切り込み最期を遂げた。
墓は下関市内に2カ所、北九州市内、そして山口市佐山の松永家(妹チカの嫁ぎ先)敷地内の4カ所にある。
地元の郷土史研究会では、墓所に説明板を設置するなど、地域にゆかりのある維新の功労者として顕彰している。