「僕たちは手に入れることのできなかった無数の可能世界に想いを巡らせながら、日々局所的に進歩し、大局的に退化して生きている」(君が手にするはずだった黄金について・小川哲)
老化と似ている。老化するとは、日々局所的に進歩し、大局的に退化していくことではないか。全般的な記憶力は低下するが、残っている記憶は鋭角に尖って進歩していく。自分にとって大切な記憶だけが鮮明になる。その記憶の事柄が発生した時には、大局的なものと繋がっていたはずだが、それは忘れている。高齢になるとそんな世間とのつながり等必要ないのだ。
先日、知らないお婆さんが戸を開けていた玄関から勢いよく靴のまま廊下を歩いてきた。部屋に座っていた私はびっくりした。私と目が合った。白い帽子の小柄なお婆さんはサッと回れ右で玄関に向かった。どなたですか、と追いかけたが、もう路地を曲がり帽子の先だけが塀の向こうに見えた。速い。後でお婆さんはAさんで少し認知症があると知った。
Aさんは行く所があるのだ。大局的な位置関係や記憶等忘れたが、忘れられない場所があるのだ。その記憶だけは大きく肥大し、日々進歩し、道を進ませる。行かなければ。
私はなにもかも取り捨てて一心に歩いてどこに行くだろうか。