米を研ぐときいつも思い出す言葉がある。“ざッざッ ざッざッ”。この言葉をつぶやきながらリズムをつけて、腰に力を入れて米を研ぐ。
想像する。戦時中、工場で働く人達が隊列を組んで職場に進む姿を。彼らは、私の祖父であり、父やおじ達であり、村の若者であったりする。学業を中断した学生もいる。
縫は艶やかな文字です。少し背を曲げ、運針する人はとても美しい。
私は戦後二年しての生まれなのでその光景を現実に見たことはないが、残されている当時のニュース映像や写真等を見ているので、安易に思い浮かべることができる。
“ざッざッ ざッざッ”の言葉を知った原点は、『工場労務者に』(杉山一平詩集・夜学生)。詩の前半は忘れたが、後半はそらんじている。毎日、米を研ぐたびに歌うのだから。
僕は見たのだ/きみらの多数が/爽やかな朝会を終へて/隊伍整々職場に進むのを/ざッざッ ざッざッ/日本のお母さんがお米をとぐあの音でもって/ざッざッ ざッざッ/あゝその規律と きみらの質朴の人生こそ/われらの日本を救うのだ/工場労働者諸君/ベルトに捲かるゝこと勿れ/病に犯されること勿れ
米は研ぎあがり、美味しいごはんが炊ける。世界は揺らぎ涙が滲む事ばかりだが、私は食卓につき艶々した白い米を食べる。