徳佐に入ると街道の右手に椿家の門が見えてくる。椿家は代々大庄屋や庄屋に名を連ねた名門で、初代市左衛門は慶長十六年(1611)に庄屋に任命されている。庄屋の住居は藩主や幕府巡検使など高位の者が宿泊する本陣に指定されるのが常だった。藩主が代替わりすると新藩主は江戸よりお国入りして領内巡視を行ったが、津和野藩との境・野坂峠を訪れた後、ここを定宿としていた。
本陣近くには、幕府や藩の掟、禁令を公布する高札場も設けてあった。縦横約2メートル×8メートルの板に板葺き屋根が付けられ、そこには田畑を荒らすな、親には孝行を尽くせ、夫婦兄弟仲良くせよ、キリスト教を禁ずる、毒薬や偽薬の販売禁止する、などと書かれていた。
文・イラスト=古谷眞之助