若くして愛する妻と死別したある哲学者の言葉に、胸を打たれたことがある。
「過去は火傷である。過去は灰塵の下でなお苦しんでいる。内奥の火傷の否定性と生きる勇気の可能性が、たえず心の中でせめぎあう。昔の痛みを消し滅ぼすということは、いつ知れず続く苦痛なのだ」。
香月泰男もまた、いつ知れず続く苦痛と向き合った人である。
愛する家族を失ったわけではない。失ったのはシベリア抑留を生き抜くはずだった戦友たち。
極寒における過酷な労働で次々と倒れていく彼らを救おうともせず、ただわが身を守るのに精いっぱいだった―香月はそう呟く。失われたのは人間の尊厳だったというべきかもしれない。
だからこそ、香月は、シベリア抑留体験を描くことを死ぬまでやめることはできなかったのである。
この画面に描かれている二本足の不気味な黒いシルエット。その正体は、荷重に耐えきれず、腰を深く折り曲げ、息もたえだえに荷を運ぶ〈虜囚〉である。
「没後50年 香月泰男のシベリア・シリーズ」(7月4日から)展示作品より
山口県立美術館 河野 通孝