終戦から7日が過ぎた8月22日。ソ連軍によって、武装解除された香月の部隊は、やがて鉄道で北へと移送されることとなる。移送先を知る日本兵は誰一人いない。知っているのは日本が「北」にはないということだけである。
9月30日、部隊は奉天(現・瀋陽)を出発。北上する貨車にむかって罵声を浴びせ唾を吐きかけてくる現地の人々。先行きへの不安と剝き出しの憎悪によって次第に精気を失う香月たち。
そこに追い打ちをかけるかのように陰惨な光景が出現する―それは「皮膚は剥がれ、異様な褐色の肌、人間の筋肉を示す赤い筋が全身に走って、教科書の解剖図の人体そのままの姿」で線路脇の溝に放置された屍体であった。
「天に届くばかりの火炎をあげて兵舎が燃えている」のを香月が目にしたのもまた、北上するその貨車からである。
25年後、画家は荒れくるう火炎のみを描き、「炎がすさまじくはぜて、あたかも悪業の終末を告げる業火の如く見えた」と記した。
※「没後50年 香月泰男のシベリア・シリーズ」展示作品より
山口県立美術館 河野 通孝