スーパーの果物棚の一番上に一個の林檎がある。上から下まで見事な紅色。胴体の丸みもたっぷりと膨らみ、堂々とざぶとんの上に鎮座している。値段は八〇〇円。盆を過ぎ供物も途絶えた淋しい仏壇に供えたいが、少々お高い。横目で睨みながら帰った。
あくる日、五〇〇円。うーん、悩むところだ。『農家の労働を甘くみるな。汗の結晶の果実。我らは百姓ぞ』。ご先祖様の声が聞こえる。頭を垂れながらバナナを買って帰った。
次の日、林檎は一番上の棚から下ろされ二段目に置かれていた。近づくと甘い香りが私を誘う。おお、熟している。食べ頃に美味しくなっている。三百八十円。おかしいではないか、美味しくなっているのに何故安くなる? 熟すということは老いたことか。新鮮で未熟な林檎は高く、老いは安いのか。買って帰った。
林檎を仏壇に供え、おりんをチーン。合掌。林檎の紅色は一段と深く、熟した香りを放つ。色あせたご先祖様の写真をじっと見た。『そんなに見るな。お前は高齢なのに熟した匂いはしないな。だらだらしていないで励め。専心しろ。未熟な末裔よ』。もう一度合掌。おりんをチーン。
今日も暑いなー。残暑は厳しい。明日になったら林檎を食べよう。ご先祖様を思いながら。