企画展「江戸無血開城に貢献した官軍の参謀~山口市宮野ゆかりの男爵 木梨精一郎」が、十朋亭維新館(山口市下竪小路、TEL083-902-1688)で12月16日(月)まで開かれている。観覧料は、大人200円、小中学生100円。
木梨精一郎(1845-1910年)は、萩(長州)藩の大組士(家中の中核をなす士)・木梨彦右衛門(椙原治人)の嫡男として生まれた。1863年(文久3年)の下関戦争(攘夷戦)に参加し、以後国事に奔走。1868年(慶応4年/明治元年)からの戊辰戦争では、東海道鎮撫総督参謀として桑名城(三重県桑名市)を開城させ、続いて江戸城無血開城や彰義隊討伐に深く関わった。英公使パークスとの会談も、広く知られている。そして、東征大総督府参謀補助、奥羽追討総督参謀、仙台追討総軍監を歴任して戦功を挙げ、賞典禄450石を下賜された。維新後は、1870年(明治3年)山口藩(長州藩)で少参事として軍制改革に携わり、その後明治政府に出仕。兵部省(のち陸軍省)の要職を務めた後、内務省の官僚へと転身。同省では、琉球処分(琉球王国の廃止・沖縄県設置)に関わり、1881年(明治14年)に新潟県大書記官(現在の副知事・部長に相当)、1884年(明治17年)に長野県令(のち知事)に就任。1889年(明治22年)まで長野県知事を務めた。その後元老院議官や貴族院議員など歴任。1896年(明治29年)に男爵の爵位を授けられた。
幕末の長州藩では、1863年(文久3年)に山口移鎮が発表され、萩から山口へと政治の拠点が移された。それに合わせるように木梨家も、1866年(慶応2年)に山口市宮野の田畑と山を購入し、翌1867年(慶応3年)に移住。現在も、精一郎のひ孫にあたる木梨恒寛さんが管理しており、広大な敷地内には彦右衛門や精一郎の墓所も置かれている。また、家の前に広がる「木梨堤」は、湖面に群生するスイレン(開花時期は6月中旬ごろ)でも有名だ。本展は、山口市とも縁の深い精一郎および木梨家の歴史や業績を、同家伝来の資料などとともに振り返る。
展示内容は、「木梨邸図扁額」「木梨精一郎肖像画」「勲二等瑞宝章」「絹本著色 七卿落図」「毛利敬親書和歌」「大村益次郎宛木梨精一郎書状」「沙汰書(東海道鎮撫総督参謀仰付)」「勝安芳(海舟)書状」「辞令(任長野県知事)」など。10月21日(月)までが前期、10月23日(水)から11月18日(月)までが中期、11月20日(水)から12月16日までが後期で、それぞれ展示替えがある。期ごとの展示は26点だ。
また、10月6日(日)、11月16日(土)、12月7日(土)の各午後1時半からは、同館学芸員が展示や資料について解説する「ギャラリートーク」(無料、事前申し込み不要)もある。特に11月は「特別ギャラリートーク」として、木梨恒寛さんも参加。「質問タイム」も設けられる。
さらに「学芸員による古文書講座」も、10月20日(日)と11月23日(土・祝)に開催。時間は午前10時半から2時間程度で、参加費は500円(観覧料含む)。企画展の展示資料を、学芸員とともに読み解いていく。定員は各8人で、電話での申し込みが必要だ。