「塵(ごみ)」とは「処分すべき物。いらないもの」と辞書にある。私は、無人になった実家の整理をしている。物に不自由した戦前戦後を過ごした両親は物を捨てていない。紐や包装紙の類、大小の磨き込まれた鍋。本、食器、客用布団、洋服、ミシン等。母は几帳面な人で全ての物は清潔に整理してある。しかし、これ等は生活様式の違う私にとってはゴミである。不必要なのでゴミである。でも、必要な人があれば、今すぐに活用することができる物達である。ゴミが場を得て必要な品になっていくのだ。が、必要な人を見つけるのは至難の業。誰の家にも物は溢れている。
ということで、梅雨の合間に業者に頼みトラックで焼却場に持って行ってもらった。勿体ないと思うし罪悪感もある。人形の白い顔は恨めしそうであるし、ミシンは技術のない私を責める。打ち直しをされ真っ白のカバーをかけられた布団は荷台の上で腹をくくっている。
「燃えるゴミは諦めることを知っている。捨てることのためらいも結局はそこに捨てる」という都合のよい言葉を思い出して心を整理する。
すっからかんになった家は気持ち良く、さっきまでのためらいはどこへやら、私の心は軽く華やいでさえいる。物に纏(まと)わりついていた思い出もそのうち忘れてしまうだろう。