今晩あゝして元気に語り合つてゐる人々も、
実は、元気ではないのです。
近代(いま)といふ今は尠(すくな)くも、
あんな具合な元気さで
ゐられる時代(とき)ではないのです。
諸君は僕を、「ほがらか」でないといふ。
しかし、そんな定規みたいな「ほがらか」なんぞはおやめなさい。
ほがらかとは、恐らくは、
悲しい時には悲しいだけ
悲しんでられることでせう?
されば今晩かなしげに、かうして沈んでゐる僕が、
輝き出でる時もある。
さて、輝き出でるや、諸君は云(い)ひます、
「あれでああなのかねえ、
不思議みたいなもんだねえ」。
が、冗談ぢやない、
僕は僕が輝けるやうに生きてゐた。
(一九三六・一〇・一)
【ひとことコラム】酒場に集う人々の賑わいの中に身を置きながらも、時代の動きを見つめ湧き上がる感情にひたらずにはいられない心のありよう。社交上の陽気さとは裏腹な、その不器用なひたむきさに「ほがらか」という言葉を与えることで、世俗に生きる自らの姿に一筋の光を与えています。
中原中也記念館館長 中原 豊