津和野との県境の手前には野坂堤があり、かつてこの堤の西側に「御口屋」と呼ばれる役所があった。藩では慶長十三年に徳佐下山の藤井孫兵衛に街道取締りや運上銀の徴収を命じ、藤井家は以後四代にわたってその役を務めた。貞享二年にこの役所が「御番所」と名を改められると、明治2年に廃止されるまで藩は「御番所山方」と呼ばれる藩士を派遣してその役を引き継がせた。
イラストの石垣はその遺構である。風土注進案に「三間半梁五間桁行茅葺、門構前左右堀覆後竹垣」と書かれていることから、建物は17坪程度の茅葺で、門が設けられ、前と左右には堀(溝?)があって、背後は竹垣に囲われていた、ということだろうか。
文・イラスト=古谷眞之助