野坂峠から津和野城下への道は標高差約200メートルの急な下りとなる。峠から5分も下ると石畳が微かに残っていた。第二次長州征討の際、津和野藩は中立の立場を取ったが、幕府が軍目付を送り込んできたため、長州藩と峠付近で軍目付引渡し交渉が行われた。難航した交渉は軍目付に危害を加えないという条件付で決着し、徳佐の御番所で引き渡しが行われたのだとか。こんな背景もあって幕長戦争時に長州藩は津和野藩の街道利用には特別の配慮を行っていたと言われている。
このシリーズも津和野に入って最終回を迎えた。最後に津和野城址と十種ヶ峰のイラストをお楽しみいただくことにしよう。3年間のお付合いに心から感謝申し上げたい。
文・イラスト=古谷眞之助