何故、お腹が空くのでしょう? 習慣なのか時分時になるとお腹が空く。座っていると目の前に食事が並ぶ、という殿様のような幸せなことは私にはない。自分で料理するしかない。紛争の続く国々の難民の人達を思うと命の危険もなく、三度きちんと食べられることは幸せとわかっているが、それでも料理することは大儀である。
石垣りん氏の詩が思い出される。
私の前にある鍋とお釜と燃える火と
(前略)/ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて/どうして女がいそいそと炊事など/繰り返せたろう?/それはたゆみないいつくしみ/無意識なまでに日常化した奉仕の姿。/炊事が奇しくも分けられた/女の役目であったのは/不幸なこととは思われない、/そのために知識や、世間での地位が/たちおくれたとしても/おそくはない/私たちの前にあるものは/鍋とお釜と、燃える火と/(中略)/それはおごりや栄達のためでなく/全部が/人間のために供せられるように/全部が愛情の対象あって励むように。
未熟な私は、なかなか励めない。愚痴多い拗ね者である。石垣氏は一九二〇年生。初期には、生への肯定、生への厭世論が拮抗した形で存在した、と三木卓氏の解説。石垣氏は生涯働き、家族を支えた詩人である。