長州藩遊撃隊総督を務め、四境戦争などで活躍。明治政府では外交官、後に枢密顧問官となった河瀬眞孝は、佐山に生まれた。
河瀬眞孝は、1840(天保11)年、佐山村に生まれ、萩明倫学館に学んだ後、尊王攘夷を唱えて活動。遊撃隊総督となり、高杉晋作功山寺挙兵に参加した。芸州口の戦いでは事実上総指揮官としても活躍した。
1867(慶応3)年から渡英留学し、明治政府の元では外交官を務め、54歳で枢密顧問官となった。
1919(大正8)年、80歳で亡くなってから今年でちょうど100年が経つ。
旧名を石川小五郎ということから、現在も地域の人々から、「もう一人の小五郎さん」と親しみと尊敬の念を込めて呼ばれている。