「前畑がんばれ」の名放送で有名な1936年のベルリン五輪。前畑らを擁する日本水泳女子選手団に、大歳出身の松村昶子がいた。
松村昶子は、矢原高畑で名医と名高かった松村章医師の二女に生まれた。大歳自治振興会発行「郷土大歳のあゆみ」によれば、大歳小の“プール”だった椹野川の八光面で泳ぎを覚え、5年生のころから本格的なクロールを習うと泳ぐ度に記録をのばした。山口高女4年の時、神宮プール(東京)でのオリンピック最終予選会に出場。100メートル自由形で1分16秒8の記録を出し、代表選手に選ばれた。
五輪では予選落ちとなったが、大歳出身者の五輪出場は当時の山口市民を沸きあがらせた。50年、25歳の若さでこの世を去った。